影響を与える、受けることの平等

  • 2016.12.04 Sunday
  • 01:30

土曜日午前の合唱・リトミッククラスは、レッスンの合間にお茶休憩がある。

 

普段は40分リトミック、1時間合唱のレッスンなのだが、

今月は本番が近いので、合唱レッスンだけになり、

レッスン時間も2時間あるので、お茶にプラスしてお菓子をあげることにしている。

 

お茶が欲しい人は、高学年の子がこぼさないようにコップに入れてくれるので、

並びに行って、入れてもらう。

自分で持ってきている子は自分のお茶を飲んだりしながら。

 

女の子たちは、お茶会、とか言いながら、お茶とお菓子をもって

丸くなって食べている子たちもいたり、

 

アシスタントの先生の、ちかよ先生のところへ行っておしゃべりしたり。

 

思い思いの休憩の時間。

 

 

お菓子を取りにきた3年生男子、Tくん。

ちかよ先生の分も持っていってね、というと、ちかよ先生にお菓子を持って行ってくれた。

 

彼はちかよ先生が大好きなので、ちかよ先生とお菓子を食べ始めていたら・・・

すっくと立ち上がり、お茶を取りに。

 

手には2つのコップを、こぼさないように運んでいる。

ちかよ先生にちゃんとお茶を運んでくれているのである。

 

「Tくん、気が利くねぇ」と私がいうと、

ちかよ先生が、「毎回持ってきてくれますよ」と教えてくれた。

 

すると、また立ち上がり、またお茶を貰いに行き、今度は私にも持ってきてくれた。

 

ほんとうによく気が利く子です。

 

思わず「すごいねぇTくん、気が利くっていうのはこういう事を言うんだよ、みんなも見習ってよー!」

と言うと、

憎まれ口をたたく子もいて、「えーっ?ゆみ先生のはやらなーい」とか言ってたりもする。

 

はいはい、こういう子も、好き。

 

Tくんはダウン症の障がいがある。

 

言葉もはっきりしないことがあるが、子どもたちはTくんがいて当たり前の環境で

ずっとレッスンを受けている。

合唱していても、大好きな歌で歌えるところだけ大声で調子はずれに歌う。

ほかの子どもたちは、くすっと笑うこともあるが、特に気にしていない。

あまり激しいと、外れっぷりにウケたりして大笑いするときもあったり。

 

決して邪魔だとか、嫌だとかではなく、

大笑いした方も、大笑いされたTくんも、ウケたことが楽しくて、

お互いとても楽しそうである。

 

先日、

「健常の子どもと、障がいを持った子どもが一緒にいることにメリットを感じない」

というように考えている学校教師がいるという話を聞いた。

 

どんな状態の子からも、必ず学びってありませんか?

Tくんのように、自分にとって利益があるかどうかということなんて考えないで、

お茶を持って行ってあげよう、っていうのはその人に対する優しさや、好きって気持ちじゃないですか。

 

その優しさを見て、ほかの子どもたちが何を思ったか。

 

子どもそれぞれの受け取り方があったに違いありません。

自分の思いに素直になろうって考えた子もいるかもしれません。

面倒くさいなぁって思った子もいるかもしれません。

 

それぞれ、思う事があっていいと思う。

 

お互いに影響を受けたり、与えたり。

それは、どの子にも平等に訪れるし、そこには障がいの有無はもちろん関係ありません。

私の目指すところは、こういう教育であり、こういう社会を私の周りから作っていく。

 

私が生きている間には、私の手の届く範囲でしかできないかもしれないし、

世界を変えることは難しいけれど、大きなもののほんの一端は担えるかもしれないから、

できることはやっていこう、と改めて考えさせてくれた出来事だった。

2016.12.4blog.jpg

 

がんばらなあかんことか?

  • 2016.11.01 Tuesday
  • 00:38

例年、私があまり気にしていなかったのか、今年の生徒さんがたまたまそうなのか

 

年長さんの子どもたちの様子がおかしい

 

10月に入ってから、

お友達とのトラブル、親との関係、子どもが言ってること、なんだか少し変だと思う

 

10月半ば頃から、

「就学前検診」で、遅くなります、

お休みするかもしれません、

という連絡をいただき、

 

これかもしれない!と思った

 

就学前検診

 

居住している校区の学校へ来年度の新1年生の子どもを連れて行き、

子どもと親は離されて、学校で検診がある

親はその間、体育館で学校へ入学するにあたっての説明を聞くのだけれど

 

 

読めば分かることを、何時間もかけて、教務だの、主任だのが配布されるプリントを「読む」

だけだった、と私は記憶している

(あくまでも14年前のことで、今は違うかも知れない)

 

 

子どもがその間何をしているのかは、うちの息子に聞いても、

当時はぐったりして帰ってきて、何も話さなかったので、知る由はなかった

(私もぐったりしたから、特に聞かなかった)

 

 

子どもたちは、学校へ行くことに期待も不安もたくさん抱えている
幼稚園、保育園では、年長さんなんだから、とプレッシャーをかけられ、
家では、小学校になるんだから、という言葉をかけられる
これはどこの家庭も一緒だと思うけれど、親の発言は
子どもがここまで大きくなった嬉しさと、これからの健やかに見込まれる成長と、
これからの学校生活への期待だと思う
(だから正確には園の発言とは意味が違うのだと思う)
ひょっとして、そのプレッシャーは個人差はあれ、子どもによっては
相当なものなのではないだろうか?
真面目な子ほど、重く感じているのでは?
と思った
いま、年長さんは十分すぎるほど頑張ってる
多分、園でも、家でも
だって、頑張らないと1年生になれないと思ってるから
わたしも、子どもたちに言ってたなぁ・・・反省
小学校入るのって、そんなにがんばらなあかんことなんか?
だけど、いざ入学したら、子どもたちは急に頼りなくなる
高学年のお兄さんお姉さんがすべてお世話してくれるから
年長さんで、とっても立派だった子が、急に赤ちゃんみたいになる
それもどうかとも思うけど・・・
だけど、いま、そんな必要以上にがんばらせなあかんのかなぁ
と考える、この1週間
お母さんに、べったりになっちゃった子
お友達と順番を決めるジャンケンに負けて、怒りがおさまらない子
必要以上にお友達に関わりに行き、必要以上の力でお友達をつついちゃう子
こないだまで、ちゃんと育ってきてて、学べてきていたはずなのになぁ
ここにきて、急に行動に??がたくさん交じる
不安定になっている気がする
でも、教室で子どもたちがそれを出せているのはいいことなのかもしれないな
あとは受け止める私の器
もう少し大きく構えないと、と思う
しばらく、小学校に上がるんだから・・・という言葉は言わないようにしよう
そんながんばらんでもいいよ、きみたち
ちゃんと学校へはいけるよ

 

ピッコロクラス始まりました

  • 2016.10.22 Saturday
  • 23:21

ピッコロクラスのリトミックが始まりました

 

このクラスは感覚統合を意識したエクササイズを取り入れた親子リトミッククラスです

 

ここ何年か教室での親子クラスはやっていなかったのですが、

久々に親子でのリトミックはとても楽しいです

 

眠っていた教具をいろいろ使いました

導入でくまパズル、ごあいさつのときにはお手玉

 

木曜日、土曜日ともとてもいい雰囲気でのレッスンとなりました

 

土曜クラスはピッコロクラスの後、グレードクラスのレッスンがあるので

早くにレッスンにきた子どもたちが、レッスンに参加してくれてお手伝いしてくれました

 

おかあさん向けの絵本は「つみきのいえ」

 

参加してくださっているおかあさんも、とても良い笑顔でよく動いてくださいます

レッスンしていて、お母さんがよく動いてくださると、こどもも良く動きます

そうするといろいろな相乗効果で、レッスンしている私もとても気持ちがいいです

 

ピッコロクラスは行き届いたレッスンをするため、少人数でのレッスンを想定しています

定員になり次第、クラスの募集を締め切りますから、ご希望の方はお早めにご連絡ください

 

木曜日 午後4時から4時40分

土曜日 午後2時から2時40分

 

日程は不定期ですが、月2回程度のレッスンとなります

 

お月謝は都度お支払いいただくようになりますので、来られないときは頂きません

 

日程など詳しくはこちら→http://kitaichimuse.com/aaafafafyaffaaafa/

 

 

 

 

 

人間をつくっていく

  • 2016.09.28 Wednesday
  • 00:21

発達障がいについて初めて知ったのは15年くらい前のこと。

 

浜松市の小学校で教育補助員という仕事に就かせていただいて、

ADHDの1年生男の子の補助をすることになったときのこと。

 

はじめ、ADHDが何なのか、全く知らなかった。

その子に出会って、関わって何もできない私は、ただその子に「寄り添う」ということをしていくうちに、

子どもが私に懐いてくれて、とてもかわいいと思えるようになった。

 

今思うと、ADHDという障がいについてまだ何も知らないで、

本能的に「寄り添う」ことができたのは本当に良かったと思う。

 

その子はまもなく薬物療法で落ち着き、ほかの子どもを見ることになったのだけど、

学校にはたくさんのグレーゾーンの子どもたちが、ほんの少しの配慮を待っているのだと知った。

 

それから、発達障がいについてちゃんと知りたいと思って、少しずつ勉強してきた。

 

勉強をしていくと、私の息子がグレーではないかと思うようになった。

グレーならグレーなりに、彼に寄り添う教育をしようと思った。

 

さて、どうして学びが必要なのかというと、

発達障がいをもつこどもは、健常の子であれば発育していく上で自然に習得していけることが、

習得できないということを知ったから。

 

では、普通に習得していけることとはなんなのか?

 

そこがはじまりで、発達について詳しく知りたいと思った。

 

勉強していくと、

教えますよ、とか、みれますよと言うことは簡単に言えないと思った。

もっと私は知らなければいけないことがたくさんある。

 

ダルクローズリトミックを勉強し始めた時もそうだった。

某リトミック講師養成講座で取得した資格なんて何の役にも立たないと思った。

 

ダルクローズを知ってから、知らないで教えることの怖さを知ってしまったら、

中途半端にはできないと思った。

 

発達障がいの子どもの受け入れに関しても、

最近ようやく声のかけ方、対応の仕方がわかってきた。

 

それでもまだまだその程度。

 

健常の子どもと違って、我慢では済まされないことがたくさんある発達障がいの子どもは、

ひとりひとり対応の仕方が違い、それを掴むまでに時間がかかる。

 

私のしている仕事は、人間を作っていく仕事。

人間を作っていくなんて、おこがましいけれど、

毎週来てくれて、レッスンを受けてくれている子どもたちの知恵となるものに、

勉強不足の間違った教育をしたくない。

 

アンテナをほうぼうに張っていると、いろんな場所で勉強できる機会が増えてきた。

発達について、感覚統合について。

 

やっと、少人数の受け入れが可能だと思えるようになってきた。

 

この10月から、専門のクラスではないけれど、

感覚統合を取り入れたリトミックの親子クラスを新設することになった。

 

このクラスは発達障がいの子どもを集めたクラスではなく、

健常の子どもと一緒にレッスンをする。

 

健常の子どもの集団に少人数だけ受け入れ可という具合で。

親子クラスなので、おとうさんおかあさんの手助けもお願いしたいと思っている。

 

健常の親子も、発達障がいをもっている親子も、

お互いにできるだけたくさんの学びのあるクラスにしたい。

 

お母さんにも、今後いろんな正しい選択ができる目を養っていけるように。

こどもと一緒に、信頼と、愛情を作り上げる関係にしていきたい。

 

一緒に、人間を作っていく過程を楽しみながら。

 

 

※少人数の発達障がい、もしくはグレーゾーンの子どもの受け入れが可能ですが、

健常を含め、クラスの子どもの程度にもよりますので、私の判断で締め切ります。

村上慧さんの絵

  • 2016.09.19 Monday
  • 22:08
春に瀬戸内芸術祭に行ったとき、ご自身が作品として小豆島にいらした村上慧さん。
ご本人はとてもユニークな方であり、発想がたのしくて、何より村上さんの描く絵のタッチに釘付けになりました。


松本まで個展を観にいき、そこで購入した絵がうちにきました。










一目惚れ的な感じで購入したのですが、改めて見てると、やっぱりこれが良かった、と思える絵です。

玄関入って右の壁の低い位置に飾ってあります。

子どもたちの目線でちょうど良い感じにして。






今日もレッスンに来た子がジーッと見入っていました。


村上さんの絵をご覧になりたい方はぜひおいでください。

平日夕方はほぼレッスンしているので、あいています。
一言、絵を見に来ました、とお声かけいただければ結構です。

自分で考えて自分のことばで表現する

  • 2016.09.08 Thursday
  • 09:19
『今弾いてみたところで、何か気がついたことある?』

宿題を持って帰らせる時、
片手でメロディーだけ、もしくは伴奏だけ弾かせてみて
必ず気がついたことを分析させることをする。

まず大まかに。

どこでもいいから気がついたこと。
スラーがついてた。フォルテって書いてあった、スタッカートが出てきた。

小さなことでも、発見したことに対して、よくみつけたね、と必ず受け入れて。
すごいね、みつかったね、
から始まって年齢に合わせ、もう少し踏み込んで、いろんな発見をしていく。


最近の子どもは忙しい。
分析したら、全く同じ箇所が出てきたりして、練習するのってたったこれだけで済むよ!
という発見もあり、
子どもも練習する目標も立てやすくなる。



曲にはいろんなことが書いてあるし、教室ではどんなことを言っても大丈夫なのはわかっているのに、それでもまだ言えない子はいる。

私が、ほぼ答えを言うところまで、『え?え?』と言って、答えない。
間違えようがないところまでヒントを与えて、ようやく答える。


どんなことでもいいのに。

くだらなさそうなことだって、わかりきってることだって、何だっていいのに。
しょーもないこと言っても、
『わはは、そこかあ!』って
わたしが面白がることも知ってるはずなのに。

間違いたくない、間違ってはダメ、という殻から抜けだせない。


簡潔な答えなんて求めていない。
それも知ってるはず。
アタフタしながら、自分で言葉をえらんで、自分なりの答えをだせばそれでいいのに。

ただ、普段、絶対間違いがないことしか答えてないんだろうし、ましてや学校で変なことが言えないんだろうな、と想像できる。


だけど、それでいいの?考えるのやめてしまってない?

どうやったら、体裁が整うかだけを考えてない?それって本質じゃないんだよ。

昨日、小学校高学年の女の子と1時間半、根比べをした。


ずっと
泣きっぱなしの子、どこまでわかってくれたんだろう。
先生ムカつく、でいいんだよ。


先生のバカ、って文句言ってくれていいんだよ。

もっと人と人の関わりを奥の方でもつことしていかなきゃ。
だってまだ小学生だよ。いっぱいチャンスはあるんだから。
体裁整えるなんて、大人になったら嫌でもやらなきゃいけなくなるんだから。

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< December 2016 >>

おすすめ

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM